三十路男のこれまで・これから

今年30歳になった男が趣味や仕事を通じて、本当の自分を知るために始めたブログです。

私の仕事のこと

前回の投稿は、高校卒業まで書きましたので、今回は卒業から今までの仕事の事を書こうと思います。

今から約13年前でした。

高校3年生の時に野球部の遠征バスの中で衝撃的な映像が流れておりました。東日本大震災の映像です。

こんな震災が同じ日本で同じ時間に起きている事がただ信じられず、遠征のバスの中では初めて夢か現実かわからないフワフワした不安な感覚になったことを覚えています。

その後生活の中心だった高校野球生活も終わり、同級生は就職活動に取り組み始めました。

私は工業高校でしたので9割は就職でしたので、必死に求人を探していましたが、イマイチ自分に合った仕事や、やりたい事がありませんでした。

第一陣の優秀な生徒達が続々と面接先を決めている中、ただぼんやりと求人票を眺めては、「何か違う」と心の中で思い決めれないまま、親との三者面談になりました。

お世辞にも頭が良いとは言えず、内申点も誇れるものではなかった私は担任から息子さんは正直に言いますとこのままだと、行くところが無いですとはっきり言われました。

担任から提示された企業はお世辞にも工業高校から入る会社でもなく、過去10年受けた人がいない企業さんでした。当時の私は本当に何も考えていないポンコツでしたので、それでもヘラヘラしており、どうしようもないやつだったと思います。恐らく自分の中で踏ん切りがつかない事をヘラヘラして誤魔化していたのだと思います。

その年の夏休みの事でした。とある、スーツ姿の中年の男性が家のチャイムを鳴らしてきて、朝からなんだ…と思い玄関を空けると見かけとは裏腹に爽やかでハキハキとした声で自衛隊に興味はないですか?良ければ話だけでも聞きに来ませんか?と声を掛けられたのです。

すぐに仲の良かった中学の友達へ連絡をして一緒に話を聞きに行こう!と連絡をして2人で自転車を漕いで行った事を覚えています。

そこから先は今まで微塵もやる気のでなかった私でしたが、なんとか親を説得してほぼ毎週自衛隊の勉強会に通いました。

その当時は、復興災害で誰よりも働き、誰よりも飲まず食わずの筈なのに泥まみれになりながらも笑顔を絶やさず人助けをする自衛官の方達をかっこいいなぁと思っていたのですが、まさか自分なんかが人助けできるわけないと思いどこか、他人事で見ていたのだと思います。

こんな野球しかしてこず、勉強から逃げていた自分でも人の為に働く事ができるのか?と当時の僕は夜な夜な不安に駆られていた事を覚えています。

面接も皆んなより遥かに遅れていた分を取り返すために毎日学校に残り、気にかけてくれていた教頭先生まで捕まえて19時頃までやっていたと思います。

そんな甲斐もあり、なんとか一般曹候補生として晴れて自衛隊に合格する事ができました。

友人も合格したのですが、色々考えた結果父の勤めている会社に行くよとの事だったのでお互い頑張ろうと言って僕だけ行く事になりました☀️

思い出しながら書いていましたので長くなりすぎてしまいました…笑

その後の話は書ける範囲でまた明日書きます💤

明日も良い1日を過ごしましょう。おやすみなさい💤

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